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2018/04/14 12:16

-NHKプロフェッショナルより-

一の線だけ 

松本秀樹は、「いま築地市場で最もいい魚を仕入れる鮮魚商」と言われる。

東京の下町・根津に構える店は小さく、目立った看板もない。それでも、東京のみならず、関東一円から客が訪れ、全国から贈答品の注文が舞い込む。口をそろえて客が語るのは、「少々値段が高くても、本当においしい魚を食べたい」という言葉。街の鮮魚店が姿を消すなか、その期待に応える店として客を集めているのだ。


売っているのは「根室産・最高級の紅鮭1切れ1000円」など、確かに値は張る。だが、いずれも松本が築地市場で選び抜いた極上の魚ばかり。そのこだわりは、いい魚がなければ仕入れをしないほど。店頭に干物しか並ばない日もあるという。例えば、売れ筋の鮪(まぐろ)といえども、納得いくものがなければ妥協して買うことはしない。鮪好きの客から「今日もないの?!」と詰め寄られようとも、「いい鮪がなかったんで」と潔く頭を下げる。この正直な姿勢こそが、客から信頼される秘けつなのだ。


その松本が胸に刻むのが、「一の線だけ」という流儀。


「昔、言われたことあるんです。こんなにいいものばかりそろえて、ただの自己満足じゃないか。お客さんのことを考えているのか?って。僕はお客さんのことを考えているから、“二の線”を買って来ないだけなんですけど。“一の線”しか必要ないです」。


頑ななまでに、最高の魚にこだわる姿勢は、父・二朗さんから受け継がれた。松本は北海道・旭川にある鮮魚店の長男として生まれたが、「魚屋は格好悪い」と18歳で家を飛び出した。だが、1年で夢破れて帰国。進むべき道を見失い、悶々(もんもん)と過ごしてある日、見慣れていたはずの父の店に衝撃を受ける。父は最高の魚だけを選び抜き、愛情たっぷりに魚を売っていた。そして、松本にこう語った。


「魚屋は、芸術だ」。


「父のようになる」と決めた松本は早かった。質にこだわる東京の高級鮮魚店に就職し、目利きを一から学んだ。寝る間を惜しんで仕込みを突き詰め、どうしたら魚のおいしさが引き出せるのか、試行錯誤を繰り返した。1年で店長に抜てきされ、5年が過ぎたとき、突然の訃報が舞い込む。父ががんで亡くなったのだ。


父の志を継ぐために、松本は店を辞めて独立。東京・根津に出店した。そして、父のように最高の魚を仕入れ、愛情たっぷりに売った。だが、「高すぎる」と客からは敬遠され、魚は売れ残るばかり。手持ちの資金は減り続け、買いつけられる魚は限られていく・・・。2,000万円の借金を抱え、廃業寸前。「あの店は1年もたない」と、ささやかれた。

だが、ここで“二の線”に手を出せば、父のようにはなれない・・・。松本は意地でも“一の線”だけを仕入れ続けた。


その姿勢が徐々に客の信頼を集め、今では「日本一の魚屋」との呼び声も高い。だが、松本の視線は常に、尊敬してやまない“あの人”に向いている。


「お父ちゃん見てみろよ、すげえだろ?って思うときもあるんですけども、だいたい鼻で笑われているような気がします。まだまだ、まだまだです。本当、まだまだです」。

第241回2014年10月20日放送
http://www.nhk.or.jp/professional/2014/1020/